二十一話 「一人の朝」

「さようなら、トク」

 シオはいつもの笑顔でそんなことを言っていた。
 どこに行くんだ?
 待ってくれ、俺も行く。
 でも俺の手足は力が入らず、前に進むことができない。
 そうこうする間にも、シオの背中は小さくなっていく。
 その先には、暗闇しかないと分かっているのに。
 待ってくれ、俺は……。

 そして、俺は目を開いた。

 最初に感じたのは、光。
 そして次に、一生懸命に鳴き続けるセミの声。
 コンクリートより少しマシな程度の地面の感触を背中に感じながら、俺は日よけのスキマから見える青空に目を細めた。
 夢だったのか?
 足を動かす、手を動かす、ちゃんと動く、何も変わりはない。
 嫌な夢だった。
 しかし、それはだたの夢だったのだ。

 安心して視線を巡らせると、そこには誰もいなかった。
 そう、ソラの巨体も、隣で眠っているはずのシオも、その側で平らになってるはずのミドリの姿もなかった。
 ポチ太郎さえいない。

「え、ええ?」

 慌てて飛び上がると、屋上を見渡す。
 見渡しても、誰もいない。
 バカみたいに広がる青い空と、誰もいない屋上がそこにあるだけだった。
 いや、いた。
 塔屋の影に丸っこい異物が浮いている。
 目をこらすと、昨日シオが助けた黒くて丸っこいモンスターがそこにいた。
 俺は少し安心すると、そのモンスターに近づく。
 丸っこいのは逃げることなく俺を見上げる。
 俺は丸っこいのに視線を合わせると、聞いてみた。

「なあ、みんなどこに行ったのか?」

 丸っこいのは何も答えない。
 口がないから、そもそも話せないのかもしれない。

「シオは?ソラは?ミドリは?ポチ太郎は?皆どこに行ってしまったんだ?」

 丸っこいのは何も答えない。
 ため息をつくと、丸っこいのの近くにあった壁に、一枚のコピー紙が貼ってあるのを見つけた。

『ソラと一緒に散歩に行ってくる、ポチ太郎とミドリとクロと一緒に留守番をよろしく!』

 というシオの文字。

「……お前、クロって名前なのか?」

 丸っこいの……クロは何も答えない。
 どこかにミドリとポチ太郎も潜んでいるんじゃないだろうかと思って目を巡らせてみたけれど、もう屋上には誰もいない。
 どこかに行ってしまっているのかもしれない。
 皆自由すぎるだろう。

 とりあえず時間を確認するために校庭を見下ろせる場所に行く。
 そこにいたモンスターの数は、昨日より増えていた。
 確か、シオがヤマから聞いたモンスターの数は三千ちょっとだった気がする。
 もう三千は越えている気がするが、正確に数えていないから分からないし、あれからまた増えたのかもしれない。

 時間は午前十時であった。
 寝坊だ。

 ひとまず顔を洗うために校舎に入ることにしたら、クロも俺の後を追った。

「一緒に来るのか?」

 呼びかけても、クロは何も答えない。

 まあ、そっちの方がいいかもしれない。
 見ないうちに、また捕まってしまったら大変だ。

 ふわふわと後ろを付いてくるクロと一緒にトイレに行き、用を足し、顔を洗い、歯を磨く。
 モンスターたちの様子を見に校庭に行こうとトイレを出たとき、少し考えて前回置いていたモップも持って行くことにした。
 前回はモンスターに用心して持って行ったモップ、今回用心するのは人間であった。

 校舎には、いたるところにモンスターがいた。
 どれもなるべく動かないようにじっとしていた。
 ピンク色の巨大なトカゲのようなモンスターと目が合ったが、目を細めてゲロッとひとつ鳴いて、そっぽを向かれてしまった。
 挨拶されたのか、そもそも興味がないのか、よく分からない。

 クロを従えて、校庭に出る。

 校庭に出てすぐ遠くでも分かった。
 数十人の人間が、校門に立って中の様子を伺っているのが見えたのだ。

 その手には、槍や斧、なぜか消火器まで持った人間もいる。

 明らかに今ここにいていい客ではなかった。

 隠れようか?そんなことを思ったが、先に向こうの人間に見つかってしまった。

「おい!どういうわけだ!人間がいるぞ!」

 そんな声が聞こえてくる。

 しょうがない。
 俺は腹をくくると、校門に向かって歩き出した。

 話し合う?
 できるのか、そんなことが?
 戦う?
 俺にできるのか、人間を傷つけることになったとしても?

 迷いながらも、一歩一歩足を進めるたびに、逃げるという選択肢が無くなっていった。

「おい、あれ昨日逃げたモンスターじゃないか?」
「いや、あの少年がモンスターを逃がした人間じゃなかったか」

 後悔した。
 話し合いなんてできるはずがない。

「帰って、くれないか?」

 数メートル間をあけて俺は人間たちと向き合い、そう言葉を紡いだ。

 よく見ると、昨日コンビニにいた人たちもいる。
 俺のことを心配してくれたおじさんはいなくて、そこは何故かホッとした。
 
「帰ってくれないか?ここにいるモンスターはもう人間を襲わない、数日したら、いなくなる、帰ってくれないか?」

 俺は努めて自然に、そう言葉を伝えた。
 しかし、俺の予想通り、話し合いなんてできなかった。

「今更襲わないから見逃してくれもない!」
「もうすぐ黒川様も来る!そうしたらここのモンスター全員地獄行きだ!!」

 その言葉に俺は緊張した。
 黒川が、来る?

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2026年8月1日